デュシャンの子供たち -21ページ目

チャクラの場所

直感で見る力が増えてくるとオーラやチャクラが見えるように
なるわけですが、今時はオーラに関しては一般的にも言葉と
してよく見聞きするようになってきました。例えばカリスマの
ある人に対して「オーラが違う」とか「オーラが強い」と
言ったイメージを聞いたり、感じたりすることがあります。

オーラは割りとポピュラーになってきたのですが、このオーラと
深い関係にあって、人間が生きていく上でとても大切な器官が
あります。それがチャクラです。もちろん普通には見えません。
それを図にしてみました。体に最も密接なチャクラは全部で7つ。
背骨に沿って5つ、真下と真上にひとつづつ、です。

チャクラはどういうものかというと、もうひとつの呼吸だと
考えるとわかりやすいかもしれません。
通常、肺は空気を呼吸して、栄養をもらったり、老廃物を吐いたり
していますね。それと同じような感じで、チャクラごとに必要な
エネルギーを取り込む器官だといえます。7つともそれぞれ役割が
違い、心の機能や対応する臓器が決まっています。

この絵のように綺麗に7つとも全開で機能している人が心身ともに
健康な人と言えますが、心と体、チャクラの3つは繋がっていて、
心にダメージがあるとチャクラにも体にも影響しますし、
チャクラを活性化してやると心や体が健康になったりもするのです。
それが直感医療のひとつの側面で、最も重要な治療のひとつです。

体の外側に何重にもオーラは広がっていて、チャクラも対応する
ように、幾つもあるようですが、体から遠いレベルほど、霊的な
オーラ、チャクラの作用となり、かなり見える人でも見えにくく
なっていくようです。

最も体に近い7つのチャクラ、その周辺の何層ものオーラは
比較的誰もがふとした拍子に見たり感じたりしやすいです。
見えないけれど割と誰でもその存在には体感として気づいている
人も実は沢山います。そういわれてみたら、という感じですね。

この後、チャクラをひとつづつピックアップしながら
体のどの部分や心のどういった場所と関わっているか、
紹介していきたいと思います。

5感に対応してる直感能力

あなたは直感医療者という言葉を聞いたことがあるだろうか?

直感医療者(メディカル・インテューイティヴ)とは
キャロライン・メイスの著作「7つのチャクラ」によると
「直感能力を使い病気や人生の危機の根本にある感情的、心理的、
そして霊的なエネルギーを人が理解するための手助けをする仕事」
という事です。

それだけ聞いてもなんのことかよくわからんと思うのでもう少し
噛み砕いて説明すると、直感に属するような第六感と呼ぶべき
通常の人間より少しばかり違う能力を使って、自分や他者の
病気の原因を見抜いたり、本人の自然治癒力をあげるべく
病人にいろいろ助けてあげるお仕事、という事です。

今後、このテーマでは主にこの本を参考書に
いろいろと説明していきたいと思います。

今回は直感能力という言葉の概念をちょっと憶えてください。
直感能力にもいろいろあって、基本的に5感の延長と考えて
もらってもとりあえずは差し支えはありません。ちょっと
ワカルといったレベルでは、視力のついで、といった捉え方に
非常に近い感覚です。

直感能力でポピュラーなものはやはり見える系。
山川健一さんのようにオーラが見えるとか、具体的に
病巣が透視できたり、そういった種類の能力です。
また、聴力。何者かが「止まれ!」と言うので
信号を渡るのをやめたら目の前に暴走車が突っ込んできた
とかその手の類です。他にも色々あります。

そしてやはり5感それぞれに対応した能力があるもので
もちろん味覚や嗅覚、触覚といったヴァージョンもあるわけです。
触覚に近い感覚も実はとてもポピュラーで、比較的、
自分にはそういった能力はないと思い込んでいる人でも
この感覚はある人が結構多い気がします。

例えばなんとなく寒気がすると思ったらそこは事故死者多発の
四つ角だったとか、誰かに見られている気がするので振り向くと
本当に見ている人がいたり、とかですね。

直接触っていないのに、触っているかのような感じで捉える
場合と、見えない体の内部の感覚を捉えたりといった能力です。
例えば腰痛のある人の腰を触ると痛みが触れている手を通して
伝わってくるとか、そういう感じです。見えていなくても
見えているのと同じぐらい具体的な情報を感知できたりします。
私の場合、視力のほうはたいしたことがないのですが、この
感覚のほうはもう少ししっかりしています。
こういった能力を「筋感覚タイプ」と呼んでいるようです。
ヒーラーの多くはこの能力が発達している人が多いと思います。
また、鍼灸や整体など、手技を使う方もこの能力が発達した人が
多いのではないかと思います。そういったテクニックの延長上に
あるので、比較的普通の人より、能力が開きやすいか、或いは
元々そういった能力のある人がその能力を生かせるお仕事を選んで
いるということもありうると思います。

いずれにせよ、東洋医学では、直感能力に関しては比較的
「当然ある能力」と見なしているように思えます。
ツボという概念、チャクラといった「見えない」し、
科学的にも測定不能なものであるのに、その理論と効果は
実証されているわけですし、必ずしも通常の感覚で見えないからと
いって「存在しない」とはいえないのは本当は当たり前の事なのだと
私は思います。



著者: キャロライン メイス, Caroline Myss, 川瀬 勝
タイトル: 7つのチャクラ―魂を生きる階段 本当の自分にたどり着くために

視えるという事は辛いのだ。

わたしがこのブログをはじめた理由のひとつに、ちょっとばかり
直感能力者であるためそれが人生に与える影響について語りたい
というのがあります。この能力は誰もが持っている
わけではないので、自分の見たり感じたことを他者から
確認を取ったりする機会になかなか恵まれないため、非常に
「個人的な体験」から脱することができず、つまりどういう
ことかというと他人に説明したり理解してもらうのがもの
すごく困難で、幼い頃にはそれで他の人と話が食い違い
混乱したり傷ついたり嘘つき呼ばわりされるという事も
しょっちゅうなのです。

ですから少しオトナになると中途半端なレベルのまま、
容易に他人にこの能力を持っていることを語らなくなります。
なぜなら、「ヘンジン」と思われるからです。
単にヘンジンだけならばいいのですが、大抵ひかれます。
ましてや「ウチュウジン」などというと「ヘンジン」を通り
越して「イッチャッテル」と思われるので絶対いいません(笑)

例えば病気の悩みなどを打ち明けられ、良かれと思って
「視えた通りのこと」を治療に役立つならと語ると
あまりに当たりすぎて気味悪がられその後疎遠になったりします。
そうするととてもさびしい気持ちになるのです。

人は「言い当てられる」のは好きなようで好きではないのです。
占い師とか、ヒーラーとか、全くの第三者、つまり自分の日常とは
全く無縁の人に言い当てられるのは大好きだけど、
身近な人に言い当てられるのは怖い人が多いようです。

直感能力があるから何から何までわかるわけではないのに、
まるで心の中を見透かされるような恐怖をこちらに感じるのです。
そうやって良かれと思ってやったことで友達を失います。
だから、「今言えば治るかも」とか「事故を避けれるかも」と
わかっていながら黙っていることになります。
そして、悪い結果を聞くと自分を責めたりします。

そうやって自分を守るために口をつぐみ、自分を責めるという
矛盾に苦しむ能力者は一体どのぐらいいるのだろう。

時々、ちょっとしたことがきっかけで、お互いそろそろと
様子を見ながらカミングアウトしあうことがあります。
その時、本当に嬉しかったりします。
「あぁ地上で一人ぼっちじゃなかったんだ」という感じかな。
地球で仲間に出会えたという悦び。
そしてこの能力があることを感謝できる悦びです。

テレパシー20日目:一角獣とダーツと光のリボン

テレパシー実験20日目です。いつもどおり左が元絵、真ん中があかんたれ君、右が金木犀君の受信した絵です。今日は何気にめでたい印象の絵が集まりました。今日は何を描こうかなぁとちょうど思っていたときに、ふと自分の履いていた靴下に目が留まりました。その靴下の絵柄がユニコーンのシルエットだったので、これに決定。受信する側はイメージどおり少々描けなくても何を受信したかがキチンと伝われば画力はさほど問題はないのですが、送る方はそうもいきません。やはりパっと一目みて「何かわかる」程度には描けないとまずいです。今の所、色は使わない路線なので、線画が中心ですし所要時間は1,2分と決めています。あまり複雑な絵だと毎日は続けられなくなりそうなので資料を見ないと描けそうにないものは避けています。なので、金木犀君が言うような「まずオーロラ、次に夜の海が見え、地平線に太い光の柱が立って、太陽がずぼっと。あああ、違うところに行っちゃった気が(泣)」ような複雑な絵柄はまず選びません(笑)

とはいえ、テレパシーとは私が思うに、事実を透視するというタイプのものもあるでしょうが、もうひとつの可能性として、「想念」の受信、つまり、事実ではなく、真実をイメージとして抽象化したものをキャッチする、というパターンがあり得るように思えるのです。ウチュウのどこかに、こちらが送った元のイメージの世界が広がっていて、そこにアクセスすれば誰でも覗くことは可能なのだけど、アクセスする時にやはり電波障害があって、それは何かというと、その人自身の観念のフィルターや受信装置の不備など、いろんな障害で、ちょっと歪んでキャッチする。

そういう場合、ユニコーンという幻想的な絵柄で、周囲にもキラキラ光がちりばめられた絵柄のイメージが、金木犀君の中では、光がキラキラの所だけクローズアップされて受信したとも考えられなくはありません。もちろんなんでもかんでもこじつけて「アタッタアタッタ♪」と言いたいわけでは全然ないのですが(笑)
当たることよりも、テレパシーとはどういうものだろう、という事のほうに興味があるので。いや、当たると結構嬉しかったりするんですけどね。外してたらそれはそれでシュールリアリズムのお遊びのようで楽しかったりもします。

ダーツの矢を見て、遊びに来ていた友人がいいました。「あ、ユニコーンの角にそっくりっ!当たってるやんっ!」えーっと。人によって注目する点ってほんとに千差万別ですよね。うん。私にはそっくりに見えないものがこの人には似て見えた。テレパシーってこういう「どこに注目するか」というプリズムのような反転が起こるのではないかとも思えなくもないです。

テレパシー19日目:おにぎりとヨン様と林檎

暫くお休みしてしまいました。というのは、前回18日目のテレパシーの後、風邪が悪化しぶっ倒れていました。それ以前から具合が悪かったのですが、休みが取れず、高熱を出し損ねてくすぶらせてしまったようです。地球風にいえば、「管理不足ゆえ自己責任が足らない」とでも言いましょうか。電磁波がどうにも辛かったのでお休みさせていただき、アメーバブログが落ちていたので18日目と19日目はあわせてアップしています。さて、快く休暇をくれたテレパシー仲間2人、ありがとう。今日もお休みと思ったのか、不意打ちっぽくなりましたか。数日満足に食事ができなかったのでついついおにぎりを描いてしまいました。すみません、病床の中でいろんなイメージを沢山したので混乱させたかもしれません。

あかんたれ君作は「ペ様はこう見える」のだそうです。わたしも実はこんな感じに見えてますが、もっと質感はビニール製です。しかし、いくらなんでも、めがねをかけた上で頭にもめがねを乗せてるような人はただのアホです。ペ様でなくてヨンさまですよ、あかんたれ君。ペーさまといえば、昨年のなんだったかのショッピングモールの車内吊広告で、林家ペー様がヨンルックスで、の方が衝撃が強く、以後彼の中では ヨン=ペ という図式が出来てしまっている気がします。なんだか心なしか敵を作っているような気がしてきました・・・・

金木犀君は「ひさしぶりの今夜、初心にもどる気持ちでセージを炊き、暗やみにして臨みました。日本家屋と着物姿の女の子が見え、スケッチブックには色のないりんごが。わたしは一体どこへ向かったのでしょうか(泣)」最近ウチュウジンに目覚めたばかりなので、少し情緒不安定なのでしょうか、なんだか泣いています(笑)微妙にかすっております。どこが、というと微妙ですが。あまり怖いモノとチャンネルが合わないタイプに育つよう一応祈っておきますね~♪

テレパシー18日目:天丼と牡蠣雑炊とトナカイ

さて、今日はわたしとあかんたれ君は所用で一緒に外出しておりその後、数人で和風レストランで食事をしました。おなかはぺこぺこで、さぁ何を食べようかと決めつつちょうどテレパシーのお時間が。というわけで、背中を向けて絵を描き、金木犀君にメールをすると同時に念力放射受信開始しました。

隣同士でお絵描きをしたせいか、おなかがぺこぺこでお互い食べ物のことしか考えていなかったのか、かなり今回は近づきました。それとも、カンニングしたのでしょうか(笑)いやいや、不正がないように、証人がちゃんといます。

金木犀君はちょっと別世界?「きょうはクリスマス気分。本当はもう少し精密なイメージだったのですが、うまく描きとれませんでした(泣)。トナカイはオーナメント風。」この絵、アップで見るととても可愛いです。ちなみに、少し前の虎の絵は某ウチュウジンの間で評判がよかったです。やはりウチュウジンの描く絵はウチュウジン受けがよろしいのかも。

17日目:こぼれ話

たいしたことではありませんが、なんでも私がみんなにテレパシーで
送るために描く絵の内容が、どうやらあかんたれ君のその日食べた
ものと被ってるそうです。ピラミッドの日はとんがりコーンだった
そうです(笑)かたつむりは食べていないそうです。私はどうも毎晩
あかんたれ君の胃袋の中身を透視している・・・なんのために?(笑)
金木犀君の地球のアナと同じぐらい謎です。

17日目:ケーキともみぢと地球

テレパシー実験17日目です。左が元絵、真ん中があかんたれ君、右が金木犀君です。個々の所、かするどころか、どんどん遠ざかっているようにも感じます(笑)あかんたれ君の画力も心なしか落ちているような気もしなくはないです・・・それより金木犀君はどこへ行こうとしているのだろう・・すっかりウチュウジンらしくなったようで私にもついていけません(笑)「あまりにも絵がひどすぎる(泣)。でも浮かんだイメージは地球と月なのでした。地球にはぽっかりと大きな穴が開き、神々しく光り輝いています。どれがどこの大陸なのが、自分でもよくわかりません…」金木犀君の嘆きもわからなくはないのです。 
インナースペースを通して様々な時空にアクセスできたとしても、そこで素晴らしいヴィジョンを見て、多くの情報を得たとしても、画力とか、言語変換能力が低ければ、自分以外の人にはちっとも役に立てることができないなぁというのが最近の感想。ニューエイジ系のヒーリングセミナーやなんやかや、いっぱいありますが、その中には抽象的な印象が強く、「効いたのか効いてないのかさっぱりわからん」ものが多いような気もします。もし6つ目の能力を持っているとして、その能力同士が確認可能でないならば、それはみんなに役立つツールとはとてもではないがいえません。携帯電話の仕組みがわからなくても誰にでも簡単に利用できるように、ヒーリングやテレパシー、そういった能力も、見えない感じない人にでも簡単に理解できたり、利用できるようなものでなければ、つまんないよね。

16日目:葡萄と瓶と虎

テレパシー16日目。いつものように一番左が元絵、真ん中があかんたれ君、右が金木犀君です。いつものコメント「今夜は、恥ずかしながら夜寝していたのでぼんやり気味。かっこいい黄金色の虎、次に稲穂をイメージしました。が、画力がおいつかなくてこのざまです。不細工などら猫・・・」いやいや、ちゃんと虎に見えますよ。喜国雅彦氏の描く猫にちょっと似てなくもないですが・・・。あかんたれ君も今日はかなり自信がなかったようです。その通り全く当たってませんね(笑)ドン~マイッ♪ウチュウの法則として、ビギナーズラックの後はこのように当たらなくなるものなのです。ギャンブルの法則ともちょっと似てますね。お金をかけてなくて本当にヨカッタ。

30過ぎたらスッピン勝負

昔、とある大御所のイラストレーターが仰いました。
「女は30過ぎたら素顔が綺麗でなきゃ。メイクなんかしちゃダメだよ。」
うぬぬ。これは手厳しい、しかし女性の審美眼では定評があり、職業柄
美女も沢山見てきている人生の先輩がいうからには本当に違いない。と
10代だったわたくしは真剣そう思いました。

わたしの周辺の30前後の女性達はこぞってすっぴん勝負に出たのだった。
そして勝負に出た女性はどなたも、スッピンでも美しい方々ばかり。

普通、容色は年齢と共に衰えると言われているが、彼女達は見事に
その定説を覆して美しい。いや、輝くようにウツクシイ。
ちょっとタレントやってます、程度の10代の女性よりはるかに美しいのだ。
わたしはウチュウジンのせいか、世の中のアイドルとかモデルをあまり
美しいとは思わないので多少、美醜の価値観は一般チキュウジンとは
違うのかもしれませんが。

いや、30過ぎた彼女達は実際オシャレで流行にも敏感、どちらかと
いうと最前線といった風情のオシャレもメイクも決まる人達で、
時と場合に応じてはバッチリお洒落にしてもやはり美しかった。
つまり、「使い分け」がとても上手く、ストレートな自分を表現
するひとつの方法として、素顔も楽しんでいるのだと思います。
そして彼女達はスッピンにしてからの方が、今まで以上に
「いい男」にモテルようになったのは事実です。

思うに、素肌、素顔には、その人の内面の美が滲み出るようです。
10代や20代前半ぐらいまでは、生まれ持ったかわいらしさが中身の
乏しさをリカバーしてくれるし、世間も少々無知だったり馬鹿であっても
「若さゆえ」許してももらえるし可愛くも見えます。

しかし、30にもなると、もう可愛いでは済まされないし、教養ある
態度や場面も増えてくるというもの。それに20歳ぐらいから、
お肌の手入れをして10年も立てば、おのずと努力の開きもハッキリ出てくる。
お肌の輝きだけではない、中身の努力の差も肌に、表情に、目つきに
出てしまうのではないでしょうか。

ですから、パっと見の、カワイラシサ、ワカサ、それはそれで
楽しいものだがやはり、会話の楽しさ、空間を楽しむ小粋さのようなもの、
そういった何重もの深み味わいは、ワカサだけではなかなか出てこない。

30過ぎたらスッピン勝負。
女は年を取るほど、中身の努力がモノをいうようです。