デュシャンの子供たち -22ページ目

うっかり以心伝心

誰もがちょっとした以心伝心があるものでしょうが。
仲良し同士というのは感受性も似てるし一緒にいることでますます
感受性も近づくのではないかと思います。その積み重ねで
ある日第三者の何気ない一言から全く同じ事を連想し
爆笑に耐えるなどというくだらない「共時性」が沢山起こります。

今日、とあるブログの素敵な言葉を見つけました。
「あなたは もっと かっこいい」

最近金木犀君と共通のとある人の話題になって
人が良すぎて無理をしすぎておでこが拡張し続けて
いるのを思い出し、ついつい口に出たのは

「あなたは もっと 毛が多い」

金木犀君が某所に書き込んだのはほぼ同時刻でした。

「あなたは もっと ハゲてない」

これも共時性ですね、絶対そうですね、テレパシーです。
間違いないです、正真正銘、テレパシーです。
今日は無駄な所で使ってしまいました。

15日目:ピラミッドとスリッパと羊

相変わらず風邪のせいかわけのわからんものを描いてしまいました。一番左が元絵、真ん中があかんたれ君、右が金木犀君です。「今夜は白いひつじです。ちょっとしょぼくれ気味の(笑)。毎晩、この時間が楽しみです。」毎回金木犀君はコメント付で、実験を心から楽しんでくれているようでそれが何よりです。何事も楽しむ、というのは大事ですね。2週間も過ぎるとはじめの緊張感も薄れ気味なのか、全くどう捉えていいかわかりません。あかんたれ君の絵は最初、和式便器かと思いました。ちなみにピラミッドに目玉のモティーフは1ドル札にも描かれていますので、以外とポピュラーな絵柄なんですよ、決してアヤシイわけではありません(笑)それともアメリカが電波な国家なのかどっちでしょうね。

14日目:蝸牛と豆と狐

テレパシー実験もはや2週間。左が元絵、真ん中があかんたれ君、右が金木犀君で「白い花びらのようにも見えたのですが、なぜか吊り目が付加されて(笑)。今夜は鼻水でぼーっとしているので、自信がないです。」だそうです。わたくし風邪気味でなんだか不気味なものを描いてしまいました。そして被験者全員がつい最近カタツムリで嫌な思いをした所なので、ついつい拒否反応が出てしまったのでしょうか。見事にはずれました(笑)いや、テレパシーって主観的なんですね。
そう考えてみるとNASAや軍隊で透視をするレベルの能力者ってすごいですね、好き嫌いなく、なんでも観るわけでしょう?考えてみたらものすごく体に悪そうですね。見えすぎるぐらい見える人はコントロールも憶えないと、心が壊れそうです。
昔、筒井康隆の「七瀬シリーズ」を読んでいた時に、「発狂→死」の瞬間の精神を読んで、絶叫するという描写がありました。それってやっぱりものすごく怖いんだろうな。
案外低レベルなテレパシスト(のうちに入れていいんでしょうか・・・)の私達ですら、無意識の防衛反応が実は強力で、自分を守るために、嫌な情報は何段階か手前でシャットアウトしている、ということも考えられますね。なーんて。

13日目:裏話

最初にこの4枚の画像の並びに注目ください。
一番左がエイサーの太鼓の写真、次が私が最初
送ろうとしてすっかり忘れていたエイサーの太鼓の絵。
次があかんたれ君のキャッチした絵。
最後に金木犀君のキャッチした絵です。

さて、テレパシー13日目、実はこんなことがありました。夕方、ベッドで眠りに入る直前、私は「今日のテレパシーはエイサーの太鼓を描こう。」と思い、左から2番目の絵を頭の中で思い浮かべました。でも太鼓の細かい所を憶えていなかったのでなんだかわかりにくい絵になってもいけないな。などと思いながら眠りにつきました。

というのは、今日の昼間、私達3人は同じウチュウジン友達が率いるエイサー隊を鑑賞していて、とても印象に残っていたからです。このエイサー隊は何人かウチュウジンが混じっていますが(笑)大半が人のいいチキュウジンによるもの。地球のパワーの素晴らしさを感じていた所だったのです。

目覚めた時には寝過ごしたことをすっかり忘れて慌てて絵を描きました。丸いという印象と楽しかった気持ちが心の中に残っていたようで花見だんごを描きました。

わたしは絵を描く前に額の内側で絵をイメージしてから描くので
「描く予定でやめたもの」であってもその記憶はほぼ同じです。
また、イメージして記憶したものは(画材や紙の制約は別とすれば)
いつであっても後から描くことが出来ます。

左から2番目が描く予定だったエイサー太鼓の私のイメージ。
隣があかんたれ君のエイサー太鼓。
右端が金木犀君の白いポット。
一番左端のエイサー太鼓の写真と順番にもういちど眺めてみてください。

あかんたれ太鼓と白いポットとはカタチがとても似ていませんか?
テレパシーは時間とは関係なくキャッチできるし、私達のパワーでは
「どこに繋がるかさっぱりわからん」レベルのようです(笑)

■後日談■
金木犀:ポットの注ぎ口が妙になったのはそのせいか(笑)

13日目:おだんごとエイサーとポット

今日で13日目。今日は夕方から寝てしまい、予定時間を大幅に寝過ごし起きて慌てて実験しました。今日はわたしがあかんたれでした(泣)あー人を呪わばアナふたつ(ちょっと違う?)まずは1枚目のこの画像をご覧ください。左が元絵、真ん中があかんたれ君、右が金木犀君です。「向こう側には林、ピンクとパープル、ブルーの小花が一面に咲く花畑をバックに白いティーポットが見えました。」

12日目:栗と写真立てと赤い花

今日はいつもより少し早い時間に実験開始です。一番左が元絵、真ん中があかんたれ君、右が金木犀君です。これ、微妙にあってるのかな?(笑)ちょっと細かくいろいろ描き過ぎたかもしれません。本当は初心者向きの場合、ステロタイプなシンボルを使うのがいいらしいのだけど、描く方があまり楽しくないので(笑)あかんたれ君は外出先から。金木犀君はちょうどお風呂に入るところでスッパで挑戦。(希望通り公表しましたよ)赤色のイメージが強かったそうです。すみません、わたしはちょうどネギトロ丼食べながらやってました(笑)花は最初描こうとしてやめました。

11日目改:メールと羽とバナナ

昨夜のテレパシー実験。いつもの彼くんから、返事が来ないのと風邪で早く寝たかったので小1時間ほど待ったのち、新人くんのをアップした所、いつもの彼くんから「わーん寝坊してました~携帯の電源も切れてました~」というメールを翌日目が覚めてから受け取りました。えぇい。世話の焼ける。二度手間やっちゅうねん。でもカワイソウなのでアップし直してあげます。いつものように一番左が元絵、真ん中がいつもの彼くん、右が新人:金木犀です。いつもの彼はモティーフかすりましたね。おめでとう。

今後それぞれの名前を決めます。
新人くんは「金木犀」
いつもの彼は「あかんたれ」と呼ぶことにしまーす。

喉風邪の治し方

このブログも一応「健康・美容」にジャンルわけされてることだし
たまにはダイレクトなテーマがあってもよろしかろう(笑)
というわけで、現在風邪をひいておりますので自戒もこめて
お題は「喉風邪」です。
わたしはチキュウでは喉を使う仕事をしておりますゆえ、
喉風邪には人一倍気をつけてはいるのですが、
今回周囲の流行にバッチリのっかってしまいました。

喉風邪といっても、大抵の風邪は鼻が出ても喉がやられても
「咽頭炎」だと、耳鼻咽喉科のお医者が言ってました。
ひいてしまってからは、あまりできることはなく、未だかつて
「風邪」の薬はまだ発明されておりません。
せいぜい症状を和らげる薬ぐらいなのですが、症状は治ろうとして
体が戦っているわけで、あまり抑え過ぎてもよくないのです。

出来るだけ短期決戦で体に勝たせてやるためにエールを送る、
というのがウチュウジン流風邪の治し方。
そして伝染性の疑いのある場合、緊急を要する場合を除いて
わたしは出来るだけ医者には行かない主義です。

★どのタイプの風邪でも必ずすること。
 食事を抜くか減らす。水分補給は番茶にする。
 肉類と乳製品、砂糖の摂取をやめる。玄米が重く感じる人は
 玄米クリームやおうどんなどにし、胃腸の負担を減らす。
 
 部屋の乾燥を抑える。加湿器や、洗濯物を室内で干すなど。

 頭寒足熱:熱があれば頭を冷やし手足をあったかくします。

 熱がなければ熱いお風呂でたくさん汗を掻く。

 ツボのマッサージ http://www.tubodojo.com/tubo/kaze.htm

★声枯れがあるなら
 もし貴方が声を使う職業なら、まず仕事を可能な限りキャンセルし、
 症状が治まるまで、声を一切出さないこと。喋るたびに負担がかかります。
 歌うのはもってのほか。特に歌手は気をつけてください。正しい発声が身に
 ついていればまだしも、そうでない場合は大きな病気を招くことになります。
 正しい発声をマスターしていても喉に負担はかかるので、プロほど、この
 期間「筆談」をするぐらい徹底して声を出しません。

★セージを炊く
 お香の代わりにセージを思いっきり焚きます。霊的な場合、部屋が
 ワキガ臭のような匂いになります。通常はお寺のようないい香りです。
 クサイと感じるようならばあなた自身疲労しています。いいにおいに
 なるまで焚き続けること。煙でむせないように気をつけてください。

★エキナセアティーを飲む
 市販のyogi teaで充分ですが、自分でブレンドするのもいいです。
 割合はエキナセア10、ラベンダー9、ミント1で。予防にもなります。

★手足が冷えている場合:梅醤番茶が効きます。
 参考リンク>マクロビオティック手当て法 梅醤番茶

★喉風邪で声が出ない、咳が出るなどに効くのは
 イソジンなどでうがいをする。しかしこれはどちらかというと予防の
 意味合いが強いです。声を使う職業の人は咳は出しすぎないでください。
 咳をするたびに声帯にダメージがかかります。

★扁桃腺が腫れている場合、うがいでは物足りない場合。
 一般にはお奨めしませんが、正しい発声訓練をマスターしている人に
 限り、自分の判断でやってみてください。綿棒の先に希釈したイソジンを
 直接扁桃腺に塗ります。黄色く膿んでいる場合膿みを先に除去します。
 しかし、これはよほど慣れていない限りやめてください。ここまで
 具合が悪い人はお医者さんにやってもらいましょう。きちんと喉を
 明け続ける訓練が出来ていないと吐いたりむせます。要注意。

★蒸気吸入
 これが一番実質的な効果がありました。耳鼻咽喉科でもしてもらえますが
 わたしは家庭用の吸入器をひとつ持っています。通常、吸入器に水を
 入れて、その蒸気を吸引するのですが、裏ワザで、水の代わりにポカリ
 スェットを入れます。浸透が早いのでとても楽になります。鼻も通るので
 どちらのタイプの風邪にも効きますし、予防にもなります。

★ドライセージを噛む
 ドライセージは食料品店のスパイスコーナーに普通に売ってるので大丈夫。
 一つまみほどを。美味しくないですが一気に飲み込まず、汁が出るまで
 ガムを噛むように噛み続けてください。意外と即効性があります。

★すみやかにふとんで横になって寝る
 これに勝るものなし。ついでに自己内観をします。
 何事も、原因なくして結果なし。風邪をひく原因となるような生活態度を
 見直します。態度の根本にある自分の観念や信念、アホアホポイントを
 見直します。反省できたら速攻で風邪は治ります。そんなもんです。

★宇宙の主治医を呼ぶ
 ウチュウジンでなくても呼べます(笑)詳しくは「聖なる癒しMAP」という
本を読んでください。ウチュウジンらしい情報も混ぜとかなくては
差別化ができませんからね(笑)わたしはMAPでやるような手順はもう踏んで
いませんが、呼べば必ず来てくれますし、どんな存在かというと、頭が犬の
エジプト辺りのお医者さんです。
 
この項だけでブログ1個作れそうなのでここまでにしときます。興味のある
人は自分でやってみてください。ウチュウジンはもっと簡単です。呼びかけ
るだけで本当はオッケーです。ただ「儀式」がないとイメージできない人の
ためにある本です。観念が固くある人は本をどうぞ。

渋谷ではたらく女社長のblog「喉風邪を治すには?」
テーマにされていました。沢山意見が集まってましたので参考にどうぞ。

嫉妬は、愛とはなんのかかわりもない

こんなメールがわたしの元に届きました。
ウチュウジンはこういう話に弱いです、安心します。

以下、転載。

嫉妬は、愛とはなんのかかわりもない

 Osho,どうして嫉妬は影のように愛につきまとうのでしょうか?

 嫉妬は、愛とはなんのかかわりもない。実際のところ、あなたがいわゆる
愛と呼んでいるものも愛とはなんのかかわりもない。その意味も知らず、そ
の意味を経験しないままあなたが使う美しいことばがある。
 あなたは「愛」ということばを使いつづける。あなたはあまりにも愛と
いうことばを使っているので、愛をまだ経験したことがないという事実を
忘れてしまっている。これがそのような美しいことばを使うことの危険性の
ひとつだ。

 「神」「愛」「涅槃」(ニルヴァーナ)「祈り」……美しいことばだ。
 あなたはこういったことばを使いつづける。あなたはこれらをくり返し
つづける。そしてそのくり返すということで、やがて、あなたはまるで自分が
それを知っているかのように感じる。あなたは愛についてなにを知っていると
いうのかね。もしあなたが愛についてなにかを知っているなら、このような
質問をたずねることはできない。なぜなら、嫉妬は愛のなかにはけっして存在
しないからだ。そして、嫉妬があるところに愛は存在しない。
 嫉妬は愛の一部ではない。嫉妬は所有欲の一部だ。所有欲は愛とはなんの
かかわりもない。あなたは所有したい。所有することであなたは強くなった
気がする。あなたの領域が大きくなる。そして、もし誰かほかの人があなたの
領域に侵入しようとするとあなたは怒る。あるいは、もし誰かがあなたの家
よりも大きな家を持っているとあなたは嫉妬する。誰かがあなたの財産を奪
おうとすると、あなたは嫉妬して怒る。もしあなたが愛するなら、嫉妬は
不可能だ。まったく不可能だ。

 聞いた話だが……
 極寒のユーコン州で、ふたりの猟師が最後の居留地に立ち寄って、長い
暗い冬に備えて生活必需品を手に入れようとしていた。彼らは小麦粉、カン
ズメの食品、ケロシン、マッチそして弾薬などを橇に積込み、荒野のなかを
6か月間犬橇で雪原旅行する準備を整えた。
 「ちょと待ちな」と店主が彼らを呼び止めた。「これらのなかからひとつ
持っていかないかい」と言うと、店主は砂時計のような曲線の大きな板を
彼らに見せた。
 「これはなんだい」と猟師のひとりが尋ねた。
 店主はウィンクした。「これは愛の板と呼ばれているものさ。淋し
なったらこれを抱けばいい」
 「ふたつくれ」と男たちが叫んだ。
 6か月後、猟師のひとりが、顎髭をのばし、やつれて戻ってきた。
 「相棒はどうした?」と店主が尋ねた。
 「あいつを射たなければならなかったんだ」とその猟師はつぶやいた。
 「俺のラブボードといちゃついているところを捕まえたのさ」

 嫉妬は、愛とはなんのかかわりもない。もしあなたが女性を愛している
なら、どうして嫉妬することなどできる? もしあなたが男性を愛している
なら、どうして嫉妬することなどできる? もしあなたの女性が誰かほかの
人と笑っているなら、どうしてあなたは嫉妬できる? あなたはうれしい
はずだ。あなたの女性が幸せなのだ。彼女の幸せは、あなたの幸せだ。どう
して彼女の幸せに反することなど考えられる?
 だが見るがいい。注意して見るがいい。
 あなたたちはこの話を笑った。だが同じことが、あらゆるところで、
どこの家庭でも起っている。

 妻はもし、夫が新聞をあまり読みつづけていると、その新聞に対して
さえ嫉妬するようになる。彼女はやってきて新聞をひったくる。彼女は
嫉妬してしまっている。新聞が彼女にとって代ったからだ。彼女がいる
あいだ、あなたはどうして新聞を読むことなどできる? それは侮辱だ!
 彼女がそこにいるあいだは、彼女に完全に所有されていなければならない。
新聞さえも許されない。新聞が競争相手となる。
 そうなると、それが人間ならどうなる? もし妻がいて、夫がほかの
女性と話しはじめ、少しでも幸せそうに見えようものなら。しかしそれは
自然なことだ。人びとはお互い疲れている。なにか新しいことがあれば、
少しスリルを感じる。すると妻が怒る。もしカップルが通りすぎて、男が
悲しそうだったら、彼はその女性と結婚した夫だとすぐにわかる。もし幸せ
そうなら、彼はその女性と結婚していない。彼女は彼の夫ではない。

 私が汽車で旅していたときのことだが、同じ客室にひとりの女性がいた。
ひと駅ごとにひとりの男がやってきた。あるときはバナナを持ってきて、
ある時にはお茶とか、アイスクリームとか、あれやこれやを持ってきた。
 私は彼女に尋ねた。「この男は誰だね?」
 彼女は言った。「私の夫です」
 私は言った。「信用できないね。それは信じられない。結婚して何年たつ
のかね」彼女はちょっと困った顔をした。
 彼女は言った。「私たちは結婚していません。でもどうしてわかったので
すか?」
 私は言った。「私はひと駅ごとにやってくる夫など見たことがない。ひと
たび夫が妻から解放されれば、彼は妻がどこか途中で降りてくれればいいのに
と思いながら、最後の駅でやっと客室に入ってくるだろう。ひと駅ごとにあれ
やこれや、いろんなものを持ってきて、何度も何度も自分の客室からかけつけ
てくることなど……」
 彼女は言った。「あなたのおっしゃるとおりです。彼は夫ではありません。
彼は私の夫の友人です」
 なるほど。それなら問題ない。

 あなたは自分の女、自分の男、あるいは自分の友人をほんとうに愛している
わけではない。あなたが愛しているなら、彼あるいは彼女の幸せはあなたの
幸せだ。もしあなたが愛しているなら、あなたはどんな所有もつくりださない。

  愛は全面的な自由を与えることができる。愛のみが全面的な自由を与える
ことができる。そして自由が与えられないなら、それはなにかほかのものだ。
愛ではない。それはなにかある種のエゴイスティックなトリップだ。
 あなたは美しい女性を所有している。あなたは町じゅうのあらゆる人に、
自分が美しい女性を所有していることを見せたい。まるで彼女が自分の所有物
であるかのように。
 ちょうど車を持っていて、その車に乗っているときのように、誰も自分の
ような美しい車を持っていないということを、みんなに知ってもらいたい。
 同じことがあなたの女性についても言える。あなたは彼女にダイヤモンドを
身につけさせる。しかしそれは愛からではない。彼女はあなたのエゴの飾りだ。
 あなたは彼女をあるクラブから別のクラブへと連れ歩く。しかし、彼女は
あなたにしがみついたままでいなければならない。自分があなたのものだと
いうことを見せつづけなければならない。少しでもあなたの権利が侵害される
と、あなたは怒る。その女性を殺しかねない。あなたが愛していると思って
いるその人を。
 いたるところに働いてる大きなエゴがある。私たちは人びとが物である
ことを望んでいる。人を物のように所有し、人を物におとしめている。
 物に対する態度についても、同じことが言える。

 聞いた話だが……
 ラビと牧師が隣り合わせに住んでいた。そして彼らの間にはちょっとした
競争があった。

 ある日牧師が新しいジャガーを手に入れた。するとラビはベンツを買った。
ラビが窓から外を見ると、その牧師が車のボンネットの先に水を注いでいるの
が見えた。彼は窓を開けて叫んだ。「それはラジエーターに水を入れるやり方
ではないぞ。知っているのか」
 「ああ」とその牧師が答えた。「私は聖なる水でこれを洗礼しているのさ。
これはあんたができるようなものではないよ」しばらくしてその牧師が振り
返ると、ラビが道路にあおむけになっていた。手にのこぎりを持ち、自分の
車の排気管の先を1インチのこぎりで切っていた。

 これがマインドだ。絶えず競争している。こんどはラビが割礼をほどこし
ている。彼はなにかしなければならない。それが私たちが生きているやり方だ。
エゴのやり方だ。エゴはどんな愛も知らない。どんな友情も知らない。どんな
慈悲も知らない。エゴは攻撃であり、暴力だ。
 そしてあなたは尋ねる。
 どうして嫉妬は影のように愛につきまとうのですか? と。
 けっしてそのようなことはない。愛はなんの影もつくらない。愛は固体では
ない。愛は透明だ。どんな影も愛から作り出されることはない。愛はこの地上で
どんな影もつくりだすことのない唯一の現象だ。


The Tantra Vision,Vol 2.より訳出。邦訳書としては『タントラの変容』市民出版
社刊

詳しくは、、ここをクリック
http://www.osho.com/

今日のタロット

偶然こんなのを見つけました。
その名も「Osho禅タロット」(笑)
いろんなものがあるんだなぁ。でもこのサイト結構イイコト言ってますね。
ウチュウジンの匂いがします(笑)
さて、私も1枚引いてみました。
あまりにもこのブログの主旨にピッタリすぎですね。

4.反逆者
人びとは怖れている。自分自身のことを知っている者たちをひじょうに怖れている。彼らには、活気のある若者たちを因習的な監禁状態から連れ出すある種の力、ある種のオーラと、ある種の磁力、カリスマがある……。
光明を得た人は隷属させられることなどありえない——それが厄介なのだ——そして、光明を得た人は監禁されることもありえない……。内なるもののなにかを知った天才たちにはみな、受け入れられるには少しむずかしいところが必ずある。天才は秩序を乱す力になる。大衆は乱されたくはない。たとえ惨めであっても——事実、惨めなのだが、彼らはその惨めさに慣れている。そして、惨めでない人は誰であれ、よそ者のように見えるのだ。
光明を得た人は、世界でもっとも偉大なよそ者だ。その人は誰かに属しているようには見えない。その人はどんな組織にも閉じ込められない。どんなコミュニティー、どんな社会、どんな国家にも——。

Osho The Zen Manifesto: Freedom from Oneself Chapter 9



解説:

この力強く、毅然とした人物は、明らかに自らの運命の支配者(マスター) です。彼の肩には太陽のエンブレムがついていて、右手で掲げている松明(たいまつ) は、苦労して勝ち得た彼自身の真理の光を象徴しています。裕福であろうと貧しかろうと、「反逆者」はほんとうに皇帝です。彼は社会の抑圧的な条件づけと意見の鎖を打ち砕いているからです。彼は虹のすべての色を身にまとって自分を形づくり、自己の無意識な過去の、暗く、そして形のない根源から浮かび出て、空へと飛び立つ翼をはやそうとしています。彼の在り方そのものが反逆です——誰かと、あるいはなにかと闘っているからではなく、自分自身の本性を発見し、その通りに生きようと決心しているからです。彼のスピリット・アニマルは鷲(わし) 、地と空のあいだのメッセンジャーです。「反逆者」は、自分自身としてあることの責任を取り、自分たちの真理を生きる勇気をもつようにと私たちを促しています。

Osho